私は26歳で出産して、今は2歳の子供を持つ28歳のママです。最初、赤ちゃんが出来たとわかった時は、まず何からすれば良いのか、スマートフォン片手に、調べたのを覚えています。私が出産した産院は、心拍の確認が取れた7週目から予約をしなければならなかったので、まず婦人科を探すことから始めました。
最初の検査とエコーで、無事心拍の確認が出来て、次の診察の7週目の時に先生に分娩予約を入れてもらいました。私が希望していた産院は、月の前半後半で分娩人数が決まっていたので、予約できた時は、ほっとしました。
妊娠がわかるまでは、異常な眠気に襲われるくらいで生活に支障はなかったのですが、わかってから始まったのが悪阻。母も姉妹もひどかったので、覚悟はしていましたが何をしても気持ちが悪く、食べても吐いてしまう日々が続きました。悪阻はいつ終わるのか、毎日調べていましたし、母にいつまで続くのかと嘆いたりもしました。悪阻が落ち着いたり、また振り返すと言う毎日でしたが、落ち着くと『赤ちゃんちゃんと動いてるかな』と心配になる事も多かったので、検診の時にエコーで大きくなっているのを見るのが本当に楽しみでした。
悪阻も少しずつ落ち着いて来て、気分転換に主人が外に連れて行ってくれる事もありました。その頃から症状がで始めたのは貧血と動悸です。妊娠して体温が上がったからか、異常なまでの暑がりになり、少しの時間でも暑い所に居るとフラフラになってしまうことが増えました。
普段から血圧も低く、夏場は立ちくらみもあったのですが、こんなになった事はないので、本当にびっくりしました。お腹も大きくなってくるにつれて、朝起きてからトイレに行くという動作だけで、お腹がカチカチになる事が増えました。私は、張りやすい体質だったようで、少し動いただけで張ってしまっていたので、お散歩もお腹の様子をみながら行動するように先生から言われました。
34週目に入った検診で、子宮口が1センチ開いていると言われ、ドキドキしながらも出産の時が近くなっている事を感じました。私たち夫婦は、立ち会い出産を希望していたので、主人が休みの日に陣痛が来ると良いね、次の検診の時は、もっと開いてるかな?と話していました。
ですが、35週の検診で1センチ、36週の検診でも1センチ、その次も変わらずで。生産期を過ぎた頃から、お散歩は欠かさなかったし、周りからの産まれた?という連絡もあり私も焦り始めました。そして最後の検診の39週目、1センチ。先生からの『もっと歩いてね』の言葉がすごく悔しくて、泣いたのを覚えています。
それから1日過ぎた夜中、お腹に鈍痛があり寝付きが悪くトイレに何度も起きました。しばらくしてから鈍痛が定期的に来ていることに気付き、時間を測ってみると5分間隔でした。私は初産なので、10分間隔で産院に連絡する事になっていたのですが、前日の検診で1センチだったので電話する気にはなれませんでした。前駆陣痛でしたと言われて帰されるのが嫌だったからです。そうこうしている内に、破水したので入院になりました。
私の場合、順調に陣痛も付いていたので早いんじゃないか言われていたのですが、なかなか子宮口が全開にはなりません。痛みで苦しんでいるときに、助産師さんがテニスボールを持ってこようか?と聞いてくれたのでお願いしましたが、忘れられていたようで持ってきてくれる事はありませんでした。私もその時に言えればよかったのですが、口にできず。産院にあるからと鵜呑みにせず、テニスボールや自分の好きなアロマなど用意しておくべきだったな、失敗したと思いました。
それから何時間もたち、分娩に進む事になりました。分娩台に上がってから、何時間もいきみ続けましたが赤ちゃんが出て来る事はなく、先生も部屋に入って来て状態を見ては、小声で『狭いな』といって出て行きました。何が狭いのかわからないし、こちらに声を掛けてくれるわけではないのでそれが嫌で仕方ありませんでした。しばらくすると機材がたくさん入ってきて、赤ちゃんが出てこれないから吸引分娩にすると言われました。その器具を入れる時がものすごく痛くて…。いきむ間も先生に『本当に痛いの?もっと力入れて』と言われながら助産師さんにお腹を押されて、先生はすごく怖いし、本当に必死でいきみました。そうして産まれた赤ちゃんは3400グラムのビッグベイビーでした。
後から助産師さんに聞いた話ですが、赤ちゃんが降りて来る向きがおかしかった為、分娩の進みが悪かったようで、先生が手で向きを変えてくれたお陰で産む事が出来たと教えてくれました。
色々あった出産ですが、主人が居てくれたのはとても心強かったです。立ち会い出産で、本当によかったと思いました。出産は体力勝負です。食べれる時に食べること、ウィダーなどのすぐに口に含める物の準備をお勧めします。