妊娠高血圧症候群の兆候が表れたうえ子宮口から胎胞が…頸管無力症で切迫早産した体験談。

出産のトラブル、失敗した体験談

妊娠高血圧症候群の兆候が表れたうえ子宮口から胎胞が…頸管無力症で切迫早産した体験談。

現在33歳で、出産時の年齢は30歳の時でした。体調は風邪を引いていてあまり思わしくなく、なんだかめまいがするの日々が続いていました。その日は25週の定期検診の日で、めまいがひどく車も運転出来ない状態だったので、旦那さんにお仕事を半日お休みしてもらって付き添ってもらいました。めまいが前兆だったのかもしれませんが、風邪の症状のひとつかな?くらいにしか感じていませんでした。

当時の私は妊娠前から太り気味で、妊娠中もだいぶ体重が増えてしまっていました。今思えば食事もあまり栄養管理が出来ていなかったように思います。そのせいもあり、むくみがだいぶ酷く、塩分を控えるようにと言われていましたが、その日までは血圧も正常で、尿蛋白なども出ていませんでした。

ところが、その日に限って血圧が高く、尿蛋白もプラスという結果になっていました。妊娠高血圧症候群の兆候がみられるとの診断でした。そのせいで、めまいがしていたようでした。そして、エコーをしてもらい、赤ちゃんは問題なく心拍もありました。診察台に上がって、内診をして頂いた際に、先生が「あれ?出ちゃってるな・・・」というなんだか不穏な発言をして、触診をして何か一生懸命押し込んでいるようでした。なんだろう?恐いなあ、と思って黙って処置されていると、「ダメだな・・・」みたいな一言の後にとりあえず着替えてその後に詳しいお話をします。と言われました。

ドキドキしながら先生のお話を伺うと、どうやら、赤ちゃんを包んでいる胎胞といわれる膜が、子宮口が開いて来ていて、飛び出している状態だということでした。つまり、まったく自覚症状の無いまま、私は切迫早産になっていたのです。先ほどの妊娠高血圧症候群とはまた話が違って、それが原因というわけでは無い、ということでした。一気に二つの問題に直面し、半ばパニック状態の気持ちをどうにか落ち着けている状態でした。そして、旦那さんも呼ばれ、同じ説明を受けて、「小さい子でも診てもらえる病院当たってみるから横になって待っててね。」と先生から言われ、別室のベッドに横になり、旦那さんと不安な気持ちで待っていました。

看護師さんが来て、「びっくりしたでしょう?でも安心してね、病院見つかって今救急車呼んだからね。」と言われ、え?救急車に乗るの?私が?といった感じで、まったく自覚症状もなくお腹に張りも感じていなかったので、そんな大事なのかと、その時にやっと自覚しました。そしたら一気に不安になって、私の赤ちゃんそんなにやばいことになってるの?どうしよ、食事もっと気をつければ良かった、もっと運動すれば良かった、とか色々な後悔が押し寄せて泣きそうになりながら、旦那さんに手を握ってもらって待っていました。

すると程なくして救急車がやってきて、名前と年齢、住所、妊娠週数などを確認され、ストレッチャーに乗せられて、サイレンを鳴らした救急車に乗り込み、搬送されました。あまり、揺れないように気をつけて行きますからね、と救急隊員の方に言われ、そんな車の揺れすらも危険なの!?と思いますます不安になりました。

旦那さんは後から車で追いかけてきてくれました。そして、NICUのある病院に運ばれ、そこの病院の主治医となる先生に再度エコーと内診をして頂き、急ですが、今から入院して頂きます。入院中はベッドの上で絶対安静で過ごして頂きます。毎朝、タンポンのようなお薬をしみ込ませたものを子宮口付近に入れる治療を行って、赤ちゃんが生まれても大丈夫なくらいに大きくなるまでの長期の入院生活となります。これからおしっこの管を入れさせて頂いて、張り止めのお薬などの点滴を24時間させて頂きます。というような説明を受けました。

普通の妊婦検診から、一気にそのようなとんでもない非常事態に陥ってしまいました。救いだったのはたまたま旦那さんがその日付き添ってくれていたことです。自分ひとりだったら、不安に押しつぶされていたと思います。旦那さんも急なことで、私と同じく動揺はしていましたが、私の前では「大丈夫!なるようになるだけだから。一緒に頑張ろう!」と言ってくれました。

その日からトイレにも行けないお風呂も入れない、歯磨きもベッドの上で、お腹に力を入れてもいけない、と様々な制限付きの入院生活が始まりました。ストレスでおかしくなりそうでしたが、そんな生活の5日目の早朝、下腹部の痛みで目が覚めました。生理痛と似ているけれど、それのもっと強いやつでした。これって、まさか・・・陣痛?出産経験の無い私には分かりませんでしたが、なにやら痛みだけでなく、膣から流れ出ているものも感じました。とりあえずナースコールをして、確認してもらったところ、出血をしているとのことでした。

すぐに先生に病棟まで来て頂き、どうにか立ち上がって、看護師さんに介助してもらい車椅子で診察室まで向かいました。エコーと内診をして頂いた結果、赤ちゃんがもう持ちそうにない、とのことで、その日緊急帝王切開をすることになりました。幸い、日曜日だったので、旦那さんと実家の母にすぐ来てもらうよう連絡して頂きました。

朝の7時前とかだったと思いますが、病室に戻ると、たくさんの看護師さんが駆けつけ、あれよあれよと、病院着を脱がされ裸の状態に、ガウンのようなものを掛けられ、張り止め薬を点滴に入れられ、その直後から心拍がとてつもない速さになり、首から上がとても暑くて息苦しいほどでした。されるがままの状態で、手術室にベッドごと向かい、生年月日、名前、などを手術室の看護師さんに確認され、手術室に入りました。

事前の説明は直前にありましたが、言われたとおりに手術台に乗り、体を丸めて麻酔の針を打たれました。痛みはあったと思うのですが、そんなことより赤ちゃんが大丈夫なのかが気になってそれどころではありませんでした。下半身に麻酔がかかり、消毒の冷たさも感じず、それを確認して手術が始まりました。お腹をぐにゅぐにゅ押されているような感覚はありましたが、まったく痛みは感じず変な感じでした。あっという間に赤ちゃんが取り出され、まだ肺の機能も出来上がっていないはずなのに、小さくおぎゃあ、と産声を上げたのをはっきりと聞きました。処置が色々あるので、姿は見えませんでしたが、その瞬間、間違いなくこの世にわが子が誕生したのだ、と実感しました。その後は麻酔によりスーッと意識が遠のいて、気付くと回復室へ向かうところでした。そこで血栓が出来ないようにと両足にポンプをつけられ、身動きできない状態で一晩過ごしました。

赤ちゃんと対面したのは翌日だったと思います。車椅子でNICUに向かい、わが子が入っている保育器を見て唖然としました。こんなに小さくて大丈夫なんだろうか?本当にこの子は生きられるのかな?という不安と衝撃と様々な気持ちが入り混じって混乱しそうでした。その場では気丈に振る舞い、小児科の主治医の先生から様々なリスクと生存確率などのお話を聞きましたが、あまり頭には入って来ませんでした。

病室に帰ってから、黙っている私に旦那さんが、「もしかして、自分が悪い、とか思ってる?決してお前のせいじゃないんだから、自分を責めたりするなよ。」と言われた瞬間堰を切ったかのように涙が溢れ出し、個室だったこともあり、声を出して泣きました。そういわれても私のお腹にいたのだから、私の責任以外、なにがあるっていうの?原因はわからないけど、私の行いが何か悪かったからこんなことになったのだ、と自分を責めずにはいられませんでした。子供が産まれて嬉しいはずなのに、NICUに会いに行くのが恐かったです。あんなに小さい体で息子が頑張っている姿をみていると、どうしてもっとお腹の中で大きくさせてくれなかったの?と責められているようで苦しかったです。

出産後入院中とても嫌だったのは、個室から4人部屋に移って、隣に正期産で生まれた赤ちゃんと一緒にお母さんが過ごしている声などを聞くのが辛く、声をころして泣いていました。本当なら私もそうなるはずだったのに、と退院するまで毎日憂鬱な気持ちで過ごしました。出来ることなら、同じ境遇の方だけの部屋とかにしてもらえると良かったのになあ、と思っていました。

わが子がそのような状態でも普通の経産婦さんと同じ扱いで、10日ほどで退院し、その後は母乳を搾って毎日届ける生活が4ヶ月ほど続きました。切迫早産の原因は頸管無力症というものでした。体質によるもので、原因不明とのことでした。自分の行いのせいでは無かったと分かり、変にホッとした事を覚えています。体力的にも精神的にも大変でしたが、家族に支えられ頑張ることが出来ました。息子もその間も様々なリスクを乗り越え、無事に今は4歳となりすくすく育っています。

自身の経験から、出産は何が起こるかわかりません。不安なことばかりで大変ですが、自身の体調をよく理解しておくことはとても大事だと思います。少しの違和感や変調でも気になったら放っておかず、主治医の先生や看護師さんに聞いてみたほうがいいと思います。初めてのお産なら尚更ですが、二度目三度目でも、産まれてくる子は違う子なので、おかしいな、と感じられるのは母親である自分自身しかいないのです。ですから、赤ちゃんのことを第一に考え、無理はせず、気持ちに余裕を持って、何があっても受け入れられるようなゆったりした気持ちで妊婦生活を送ることがとても大切だと思います。それに、自身の経験から、いつ何があっても良いように、出産準備は早すぎるくらいからしておいても良い、と思いました。急な入院となるとばたばたするので、何事も早めの準備をおススメします。

私の経験が少しでもお役に立てれば幸いです。