バースプランを出す病院だったが経産婦だからと放置され赤ちゃんはアプガースコア2…子宮裂傷で出産した体験談。

出産のトラブル、失敗した体験談

バースプランを出す病院だったが経産婦だからと放置され赤ちゃんはアプガースコア2…子宮裂傷で出産した体験談。

29歳の時に出産した話で、現在41歳です。3人目の出産でした。妊娠後期は、張り止めや鉄剤を飲んでいたものの妊娠経過は順調でした。予定日を過ぎ、翌日の夜中に破水をしました。急いで病院へ行くと、早朝ぐらいに生まれるだろうと言われ入院になりました。私自身は、とても元気でした。赤ちゃんの経過は順調で、赤ちゃんも標準に育っていました。

バースプランを出すことのできる産婦人科で出産しました。しかし、2人目の子を出産の際に経産婦だからと適当な扱いをされました。陣痛が来て入院になったときに、「赤ちゃんがしんどがっている。」と言われたものの、「もう一人初産で陣痛中の人と緊急帝王切開の人がいるので、病室で陣痛が激しくなるまで一人で待っているように。」と言われました。12時間我慢していましたが、結局子宮口が全開になる前に赤ちゃんの命が危ないから出すことになり、やっと先生が登場しました。出産後「赤ちゃんの生命力が強かったね。」の一言で済まされました。

予定日に近づいたころ「今回の出産は、きちんと産みたい。」と先生にお願いしました。先生の「今回は大丈夫。」という言葉を信じて、出産を迎えました。

陣痛は途中まで順調でした。3回目の陣痛で、なんとなくコツをつかんでいたこともあります。分娩室へ移るまでは、無事に生まれてくれると信じていました。分娩室へ移って、先生が見に来てくれました。この日の担当はいつもの健診の先生でした。「良い顔になってきたね」と言われてうれしかったのと、大丈夫だと言ってくれた先生だったので安心しました。

しかし、ここからが大変でした。赤ちゃんの回転が止まり、頭が下りて来ません。そろそろおしり辺りに降りてきてもいい頃なのにおかしいなと思っていると、助産師さんが羊水を手で掻きだし始めました。不安でいっぱいでしたが、音だけが聞こえてきて見えないことで声も出ませんでした。陣痛の痛みは、いつの間にかあまり感じられなくなってきました。

頭がぼーっとしてきたころ、先生が登場しました。助産師さんの力で赤ちゃんは少しずつ出口に近づいてきました。それでも、いきんでもいきんでも赤ちゃんは出て来ません。大きな塊がある感じはあっても、出てくる気配がありません。赤ちゃんの動きが止まっているような感じでした。先生はどうしても帝王切開にしたくなかったようです。力いっぱいいきんでおなかを押したりして、やっと出て来ました。

しかし、今度は泣きません。色々なことをして泣かせようとしてくれていましたが、待っても待っても泣き声は聞こえて来ません。時間だけが過ぎていきました。先生は冷静でしたが、助産師さんはパニックになっていました。急に先生が「ちょっと待ってみよう。」と言ったのです。そして、少し静かな時間がありました。すると、やっと赤ちゃんが泣きました。息子はアプガースコア2でした。

この出産で、不安しか残りませんでした。やっと赤ちゃんが泣いてほっとしたものの、今度は私の処置です。大量の出血と出血が止まらないことで、出産後は分娩室から5時間以上出ることができませんでした。やっと出れたと思ったら、次は陣痛室で半日過ごしました。出産で子宮が裂けて、縫合する手術を受けたからです。退院前に先生からお話がありました。「胎盤の位置が悪かった。帝王切開の対象ではない、私の判断は正しかった。」そうです。納得できません。

幸い赤ちゃんは元気に育ちました。障がいはありません。とても健康で、勉強も普通にできます。小児科の健診で相談したところ、「38週だったら肺がつぶれていた。」と言われてびっくりしました。4人目を妊娠したときに不安で、産婦人科を変えました。おじいちゃん先生の病院です。「あの病院はね・・・今度はきちんと産ませてあげる。」と言われ、言葉通りきちんと産むことができました。同じ性別の男の子で体重もほぼ同じでしたが、するっと出て来ました。出血の量も少なかったです。

産婦人科は、きちんと自分の判断で選ぶべきです。