私は現在35歳、娘を出産したのは27歳の時です。突然の授かり婚になりバタバタしながらも、彼氏から夫になった人と楽しみながら出産準備をすすめました。当時可もなく不可もないごく一般的な健康体だった私は迷わず自然分娩を選択、病院は各科揃っている近場の総合病院を選びました。ちょっと施設の古い病院でしたが、助産師さんは経験が豊富そうな方が多くて母親が増えたような気持ちで検診に通っていました。
つわりが少し長かった他は順調に進み、7か月に入って受けた検診で初めて異変がありました。少し腹部に痛みまではいかない違和感を感じていてそれを医師に話したところ、張りが強いから少しお薬を飲みましょうと張り止め薬を処方されることに。助産師さんからしばらくは安静を心掛けるよう言われました。この時安静がどんな意味なのかもっとしっかり考えればよかったと今でも思うのですが、私は「家事以外は静かに過ごす」と理解してそれまでよりゆっくり家事をしてその他は極力横になって過ごすという毎日を送りました。
そして次の検診の日。内診をしていた先生が急に「ちょっとこれじゃ帰せないな」と言いました。一瞬意味がわからず「え?え?」となっていると、カーテンの向こうから「車椅子準備しますか?」という助産師さんの声が。車椅子?誰が使うの?と全く状況が掴めない私に先生は「子宮口がこの週数じゃあり得ないくらい開いてるから早産の危険があるの、切迫早産の状態だから今日は帰れないよ」と言いました。
私は目を白黒させたまま車椅子に乗せられて上階の病棟に連れていかれました。エレベーターの中で助産師さんに家族に連絡して着替えを届けてもらうよう指示をされて「何日分くらいですか?」と聞きました。すると、「今7ヶ月でしょ、10ヶ月に入るまでだから2ヶ月は入院」と告げられてびっくり。まだベビーベッドも準備出来ていませんでしたし内祝いのカタログも取り寄せただけ、これから決めることがまだたくさんある時期でした。主人とも話さなければならないし、明日入院じゃ駄目だろかと思いそれを口にすると「それどころじゃないでしょ、ここで無理したら無事に産まれる子もそうじゃなくなっちゃうよ!」と強く言われました。
早産になった場合赤ちゃんはNICU(新生児の集中治療室)に運ばれますが、NICUのベッドの空きはとても少ないのです。私が入院・出産した総合病院にもNICUはありましたが必ず空きがあるわけではなく、場合によっては赤ちゃんだけ車で2時間はかかる遠方の病院に搬送されてしまうと言われました。今まで順調に来ただけに私も着替えを届けてくれた主人もすっかり動揺してしまいました。
点滴の準備をしながら助産師さんは「24時間薬を安定させなきゃならないから頑張らないと駄目よ」と言いました。24時間点滴を刺し、移動はトイレと洗面だけと言われて呆然としてしまいました。本当は「安静」と言われた時点で家事も最低限・最小限にして体を休めなければならなかったんだとここでやっと気付きました。
そこから数日に一度点滴の針を刺しなおししながら2ヶ月間、絶対安静の入院生活が続きました。主人が本を持ってきてくれたり、私の母親が仕事帰りにこまめに話に来てくれたりしましたが日に日に辛さが増してきて夜になると自然に涙が出てしまうことも。他にも長期入院の妊婦さんがいましたが、私以外にも助産師さんに慰めてもらっている人がいました。
臨月になってやっと退院し、娘は予定日から6日だけ早く産まれました。幸い異常は何もなく2992グラム、とても元気に大きくなってくれています。今も職場の同僚の妊娠がわかると、少し椅子を持ち上げただけで飛んでいってしまいます。「このくらい大丈夫」という気持ちがとても怖いことに繋がるかも知れないと身をもって知りましたから。
心がダメージを受けた経験だったので妊婦さんには本当に気を付けて欲しいと思います。