現在33歳、出産当時は31歳でした。妊娠初期から臨月まで、特に体調に問題無く過ごすことができました。ちょうど専業主婦だったため、朝晩のウォーキングを日課にしていたため、体重も何とか怒られるほど増やすことなく、一度だけ看護師さんに「先週から少し増えたね。」と言われただけでした。雑誌で無痛分娩のことも知っていましたが、痛みには強い方だと思っていたので、特に無痛分娩を希望することもなく、近場の産院を探しました。
自宅から近く、日中に産気づいた時のために夫の職場からも近い病院が良いだろうと思い、車で10分程度で行ける距離の病院にしました。建物は古かったですが、清潔に掃除されており、また先生や助産師さんの評判も良かったです。陣痛が始まったのは夫の連休中で、出産も夫の休日だったのですが、入院期間中に仕事の合間に見舞いや必要なものを持って来てもらえたので、便利だったと思います。
妊娠期間は順調でしたが、陣痛がとても長い出産になりました。出産関係の漫画等をたくさん読んでいたので、陣痛が長く続くことがある、と知っていたはずなのに、いざ自分の番になると、先が見えない不安でいっぱいになりました。陣痛かな?という痛みに気づいた初日、早朝から夫婦で緊張して過ごしていましたが、結局前駆陣痛で痛みは治まりました。その夜、11時頃から本陣痛が始まり、2日目の朝4時に入院しました。そこからが更に長い陣痛でした。
その時点ではまだまだ耐えられる痛みでしたが、赤ちゃんが下がってきていたため、入院させてもらえました。ただ、そこから一日、痛みは強くならず、陣痛を促すために歩いてみたりしながら夜9時になり、それ以上進みそうにない、とのことで夫は帰宅するように言われました。この時点で2晩めの徹夜に突入です。夜11時頃、痛みが徐々に強くなってきたので、助産師さんを呼ぶと、まだまだ子宮口が開いていないと言われました。それ以降痛みは強くなっていきましたが、一度助産師さんを呼んでまだまだと言われたため、もう一度呼びづらくなってしまいました。その後、午前2時から午後5時まで5分間隔の激痛で、横にもなれず痛みにうなりながら過ごし、やっと5時になって助産師さんを呼びました。だいぶ子宮口が開いたので、夫を呼んで良いと言われ、電話したところ、「シャワー浴びて、朝ご飯食べてからで良い?」とのんきな答え。私が一番辛い姿を見ていないので、仕方ないとは思いつつ、「なんでも良いから早く来て!」と電話を切りました。夫のせいではないとはいえ、一番辛い時間に寝ていて、しかも自分の身支度を気にする夫に腹が立ちました。
その後、同じタイミングで出産することになった他の妊婦さんがいたため、夫は分娩室に入ることができず、出産に立ち会うことができませんでした。立ち会いできないことには不安はありませんでしたが、私の辛い時間を見ていない夫は実際よりも出産を重く受け止めることができなかったのではないかと思ってしまいます。
今から思うと、痛み自体は耐えられないものではないけれど、遠慮せずに陣痛のピークで助産師さんを呼んで夫を呼びたいと伝えても良かったかな、と思います。母子手帳には陣痛26時間、と書かれており、長かったなあと今でも思います。病室は個室を希望しており、出産後はゆっくりと過ごすことができました。抱き枕・円座・授乳クッションになるというグッズがあり、それを病室に持ち込んで過ごしたので、出産後の体の痛みの緩和にも役立ちました。
出産後の入院中、昼間は母子同室だったので、入院中にある程度は赤ちゃんのお世話や接し方も分かったと思います。別室にした人は、同室の人達と気が合って、おしゃべりして楽しく過ごすことはできたけれど、いざ退院するとなると、一緒に過ごした時間が少なかったので赤ちゃんとの接し方に戸惑っていました。一人目の出産はやはり、個室を選んで、母体に余裕があれば母子同室で入院中から分からないことをどんどん助産師さんに聞くのが良いと思います。でもあまり気負い過ぎず、慌てずに赤ちゃんに話しかけながらお世話をすると良いかなと思います。