私は大きな病気をしたことがなく、スポーツはしてませんが、ブラスバンドで楽器を吹いていたので、体力はある方だと思っていました。38歳で初めて妊娠した時、夫も私の父母はとても喜んでくれましたが、夫の母はとても驚いた様子であまり喜んでもらえませんでした。後から夫から聞くと、私が高齢だから出産は無理で、奇形児が生まれると思ったようです。その昔ながらの考え方に、私はすごくがっかりしました。
胎児は順調に成長し、私も身体にいいものを食べたり、運動したりと出産に向けて努力しました。臨月を迎え、いよいよ陣痛を待つばかりとなりました。しかし、待てど暮らせど、陣痛が来ないまま、出産予定日を迎えてしまいました。夫や両親からは「どう?」と頻繁に連絡があり、親戚や友人からは「生まれた?」とメールが来るようになります。私自身も焦りが募り、胎児に良くないと思いつつもイライラしてきてしまいました。
産婦人科での検診結果、出産予定日の1週間後、入院することになりました。そして、陣痛促進剤の投与が始まりました。薬がすぐ効いて出産するんだと私自身も意気込み、付き添いの母もスタンバイしていましたが、そこから3日たってもまだ陣痛が来ません。母もイライラしてきて、病室で「まだなの?」と連発するし、夫からのメールも「来ないとどうなるの?」と来て、私も答えようがありません。夫の両親も病院に来て、すっぴんで点滴をしている私は見られたくないし、本当につらいと思いました。
また明日も陣痛促進剤かなと思ったら、明日は日曜でスタッフが少ないので薬はなしで、経過観察と言われました。なんだかホッとしたせいなのか、翌朝から破水し、ついに午後から微弱な陣痛が始まりました。いよいよだと思ったら、この陣痛の間隔が全然狭くならず、子宮口もなかなか開きません。こんな状態で徹夜になり、付き添いの母が限界のようでした。夫に交代してもらおうと思いましたが、もうメールをする体力もなく、留守電に録音する声もしどろもどろで、自分でも驚いてしまいました。もう食事しても吐いてしまう状態で、とにかく水分だけ摂って、時折くる陣痛に耐えてました。
やっと、夫が病院に着き、母に帰ってもらいました。夫は慣れない場所に落ち着かないのかスマホばかりいじっていて、付き添いのやるべきことがまるで分かっていません。いるだけマシと思って、私もじっと耐えてました。
また夜が来て、今日も徹夜と思った頃、胎児の心拍が落ちていると検診に来た助産師さんに言われ、緊急帝王切開になりました。もともと明日が妊娠42週目で、これ以上の妊娠を継続するのは無理だから帝王切開と言われていたのですが、この夜中にまさか手術することになるとは思いませんでした。常駐の先生だけでは手術できないので、電話で院長先生を呼び、宿直の看護師さんもわらわら集まり、夜明け頃にようやく出産できました。
出産準備万端と思っていましたが、陣痛付き添いの人に何をしてもらうかをあらかじめ話しておいた方がよかったと思いました。それから、出産予定日は本当に身内だけに知らせておいて、友人や親戚などは大体の時期や遅めの日にちを教えておいた方が良いようです。妊婦は火事を見てはいけないとか、お葬式やお墓に行ってはいけないとかの迷信があることも知っておいた方がいいかもしれません。信じる・信じないは別として、年配者はそういうことを大事にしているし、それは赤ちゃんが無事に出産してほしいと思っているからこそなので、むげに否定しない方が人間関係がスムーズにいくように思います。
病院側は随時対応してくれる感じですが、患者を不安にさせないためなのか、あまり今後のスケジュールを教えてくれません。例えば、いつまでに陣痛が来なければどうするのか?とか、このまま子宮口が開かないとどうなるのか?とか、分からないままでした。総合的な診断の上で対処してくれてはいますが、自分でネット等でもっと勉強しておけば、先生に具体的な質問もできたし、不安にならなかったかもと思いました。