現在3歳半になる娘がいる31歳の専業主婦です。娘を出産したのは28歳の時で、出産するまで吐きつわりがありましたが妊娠による貧血などもなく、39週目に自然分娩で出産しました。
妊娠が分かった5週目あたりからいきなり吐き気におそわれる日々で、当時は仕事もしていましたが、動いていても寝ていても吐き気がおそってくるので仕事は休職し、家でじっとしている日々が始まりました。少しなら食べれるかもと思ったものもいざ目の前にすると吐き気がおそってくるので食べれず、食べたいなと思っていたものも少しすると食べたくなくなったりとこの吐きつわりは二度と体験したくないくらいです。
当時は実家から車で3時間少しかかる場所に夫と二人で住んでいましたが、病院も一人で行くことはできないし、何もできない状態が続いたのでひとまず夫と相談してつわりが落ち着くまでは実家に帰ることになりました。元々出産するなら、里帰り出産をしようと思っていましたがここまで早い段階で実家に帰ることになるとは思っていませんでした。実家近くの病院に通うことになりましたが、現住所と違う県なので、支払いも補助がでないし、後からそのお金の返金を現住所でしてもらう手続きなど正直大変でした。さらには、実家周辺の産婦人科は何件かありましたが、分娩ができる病院は1つしかありませんでした。
お産自体は、陣痛が始まってから3時間という速さで産まれてきてくれました。お昼前に病院に行った際は、朝方まではかかるだろうねえと言われとりあえず陣痛室で待機になりましたが、痛みはどんどん強くなるし、痛みの強さが分かる機械もつけられていましたが看護師さんたちが頻繁にみにきてくれるわけでもなく、ただ痛みに耐えて寝ていました。これくらいの痛みは当然なんだなとずっと耐えていると、様子を見に来た助産師の方に、何でナースコール押さないの?!出血してるじゃないと怒られ、あまりの痛みに出血していることも分からなかったのにと思いながら痛みに言い返すこともできませんでした。痛みがなければ、ほったらかしにしすぎだろ!と言いたいくらい嫌な思いをしました。
そこから分娩室にやっとの思いで移動し、いざ出産という形になるのかと思いきや、こんなに早く進むと思っていなかったようで助産師さんもバタバタされていました。夫が立ちあう予定でしたが、間に合わず結局その場にいた母が立ち会う流れでそのまま立ち会うようになりました。
助産師さんがその日お産担当の先生に連絡を取るも、別の妊婦さんの帝王切開の手術に緊急で入っていてすぐにはいけないという事態になりました。その時言われた助産師さんの言葉はきっと一生忘れないと思います。うちの母に向かって、「おかあさん!先生がくるまでおしりをおさえといて!」と。母も言われるがままおさえていましたが今でもあれはないよね~と笑い話ですが、そのときの私は、怒りというかもっと他の対応ないのと痛みにたえながらも思っていました。
出産した当日は母子同室ではありませんでしたが、翌日から4日間母子同室でした。初めての赤ちゃんでお乳を中々うまくあげれず、産後の寝不足もあってからか精神的に不安定になってしまいました。助産師さんの中には、私の話をよく聞いてくれて、母乳がでなくたって、ミルクがあるんだから大丈夫とはげましてくれる方もいて今日はミルクだけにしてみようかと相談していたのに、別の助産師さんはお乳をあげる練習しないとダメよと言ったり。今日はミルクだけにするって話をしていたのに、助産師たちの中で話しがちゃんといきわたってないんだなと思い、今思うとたいしたことじゃないかもしれませんが当時は母乳母乳と言われることがすごく嫌でした。
分娩できる病院が1つしかなかったので私自身はその病院を選びましたが、病院選びは設備だけでなく助産師さんたちの雰囲気や自分に合った病院なのかよく見るべきです。それぞれの県で補助がでる条件も違うのでそういった手続きなどもあらかじめしっかり調べておくと後々ややこしくなりません。