悪阻の反動で食べ続け尿蛋白と糖が出た…切迫早産で入院し巨大児を出産した体験談。

出産のトラブル、失敗した体験談

悪阻の反動で食べ続け尿蛋白と糖が出た…切迫早産で入院し巨大児を出産した体験談。

私の現在の年齢は47才です。そして長女の出産は27才です。結婚して半年が過ぎた頃、そろそろ赤ちゃんをと思い始めました。それまでも頭痛持ちで大量に鎮痛剤を飲んでいたのですが、なんとなく結婚してからは飲んではいけないような気がして薬やサプリメントを全部やめて自然の食事だけにしていました。ですから妊娠がわかった時も特に心配はありませんでした。

ただ、自分の実家が新幹線の距離となっていたので結婚生活で頼る人が誰もいません。そしてどこの病院がいいのかさえわからないままでした。ですから市内にある公共の市立病院にわからないまま行くことにしました。公共の病院ですから自然分娩ということになります。まだ妊娠したての頃は26才です。ですから高齢出産のおかあさんに比べたらもちろん体力はあります。でもとにかく悪阻がひどかったので16,17週くらいまでは、絶食のような生活をしていました。その時は一日に食事が摂れてもコンビニのおにぎりを1つ食べられるかどうかです。全く食べない日も続きました。そのために体重は一気に落ちて8キロくらいは痩せました。

実家が離れているために、赤ちゃんの用意は全て自分でしなければなりません。やっと悪阻が終って食べられるようになって、ようやく準備に入りました。安定期に入った時に、自分のお尻の異常に気が付きました。それは赤ちゃんがおしりに乗るので痔になってしまったことです。座ることも歩くことも痛みが襲います。それをなんとか我慢しながらの生活になりました。

悪阻の反動で体重が増え続け出産前の体重は16キロも増えてしまいました。そうなると尿にたんぱくも糖もでます。それでも食べることがやめられず、7か月目に切迫早産で入院しました。その時に出産中のお母さんの声が響いて次が自分の番になると思うと怖くて眠れませんでした。

陣痛が始まるくらいの時に看護師さんより「赤ちゃんは4000gです」と告げられました。その時の衝撃はすごく、その時点で自分には出産できないと確信したのを覚えています。でも陣痛は自然にやってきます。この場で赤ちゃんが大きすぎて帝王切開になると言ってもらえるのではと心から思いました。どうしても出産に前向きになれなかったからです。それでもだんだんと出産は近づいてきます。体が自動的に赤ちゃんを押し出そうとするのです。

ですが、なんといっても4000gのあかちゃんがそう簡単に出てくれるはずもなく辛い時間だけが過ぎていきました。そして1番悲しいことがおこります。それは先生が「あと1時間で終わらせろよ」と言って看護師さんに指示が出ました。そしてその看護師さんと先生が私のお腹に乗り、赤ちゃんを押し出すようにお腹の上で動き出したのです。驚きましたが疲れ切っていて、もうひたすら出てくるのを待つだけです。辛くて眠りそうになると頬を叩かれます。こんな思いをして赤ちゃんが生まれるのだとどこか遠くで思いました。どうして赤ちゃんがスムーズに出てこられなかったのか、それは赤ちゃんの首にへその緒が2重に巻き付いていたからでした。そのために出ようとする赤ちゃんを止めてしまっていたのです。

今は、自分で出産を選べる時代です。この私の経験でもわかるように、もう出産はできないと思っていました。そこから次女の妊娠です。ですから次女は、自然分娩する気力もなく、はじめから無痛分娩と決めていました。無痛分娩に関しては、それぞれの意見がわかれるところです。自然分娩が自然なのですから、それに反対する人もいます。ただ2時間で生まれた次女をすぐに面倒が見られたという点で長女の不安もなくなります。ですから私は正解だったと思っています。